わずか9坪のユートピア page:1/9
プロローグ

 1960年代、茅ヶ崎には岩倉家と加山雄三が経営していたことで有名な、湘南唯一のリ ゾートホテル「パシフィックホテル茅ヶ崎」があった。そこでは連日パーティが開催 され、加山雄三とランチャーズ、ワイルドワンズといったメンバーがライブを行って いた。加山雄三に代表される、明るく、開放的なサウンドが特徴の「湘南サウンド」 と呼ばれる音楽は、そこから始まったといわれている。当時のパシフィックホテルは 東京からお忍びで来る有名人や、その頃には珍しいオープンカーやスポーツカーを駆 ってやってくる最先端の人達の社交場として有名だった。湘南の中でも、鎌倉・葉山 の持つハイソサエティーなイメージとは一線を画していた茅ヶ崎にスポットが当たっ たのも、このパシフィックホテルがあったからこそである。そして、ここで湘南独特 の文化が育っていった。
 その当時、ホテルマンを目指していた岩澤幸矢は、このパシフィックホテルでアルバ イトをしていた。ここでアルバイトをしていたことが、その後の「カフェ・ブレッド &バター」への布石となるとは、この時岩澤幸矢自身も知る由がなかった。
「僕は、ホテルでベッドメイクの仕事とかをしていたんだけれども、岩倉家のグラン ドマザー、通称マミーという人がいてね、彼女がとにかく顔が広いんだよ。有名人と かよく知っていてね。僕もよく面倒を見てもらったんだ。そのマミーが、実はその後 に出会って一緒にお店を始めることになるセミ(岩倉瑞江)のおばあちゃまだったと は、その時は全然知らなかったんだよね」
 その後、東京ヒルトンホテルで働くことになった幸矢は、1966年になると、ミューヨ ークヒルトンに配属される。当時、日本から渡米するのは簡単なことではなかった。 まだまだ敵国のイメージが強く、日本人と見れば「TOJO(東条英機の意)と言われた 時代だという。そしてまた、アメリカもベトナム戦争のさなかで、退廃的なムードが 漂う「サイケデリック」の時代であった。
「東京のヒルトンホテルの方から、コーネル大学のホテル学科に行けるような手配を してくれていたんだけれど、何か気分が乗らなくて。学生の頃から音楽が好きで、ニ ューヨークにボブ・ディランが泊まって生活していたライブハウスみたいなものがあ るのを知って、ある日そこへ行ってみたんだ。そこのオーナーが親切で、僕を泊めて くれてね。結局3ヶ月ぐらいそこにいたんだけれど、そんなことをやっていたら、ホ テルなんかとんでもない、やっぱり好きなことをやりたいなと思いはじめた。それで 、音楽をチョコチョコとやりはじめたんだけれど、日本人が当時のアメリカで音楽を やるなんて、とんでもなかったんだよね」
 そして帰国。アメリカで、フォークミュージックを学んできた幸矢は、小室等率いる 「六文銭」に一時参加。その後、日本で学生バンドを組んでいた弟の二弓とブレッド &バターを結成することになる。


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