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プロローグ
1960年代、茅ヶ崎には岩倉家と加山雄三が経営していたことで有名な、湘南唯一のリ
ゾートホテル「パシフィックホテル茅ヶ崎」があった。そこでは連日パーティが開催
され、加山雄三とランチャーズ、ワイルドワンズといったメンバーがライブを行って
いた。加山雄三に代表される、明るく、開放的なサウンドが特徴の「湘南サウンド」
と呼ばれる音楽は、そこから始まったといわれている。当時のパシフィックホテルは
東京からお忍びで来る有名人や、その頃には珍しいオープンカーやスポーツカーを駆
ってやってくる最先端の人達の社交場として有名だった。湘南の中でも、鎌倉・葉山
の持つハイソサエティーなイメージとは一線を画していた茅ヶ崎にスポットが当たっ
たのも、このパシフィックホテルがあったからこそである。そして、ここで湘南独特
の文化が育っていった。
その当時、ホテルマンを目指していた岩澤幸矢は、このパシフィックホテルでアルバ
イトをしていた。ここでアルバイトをしていたことが、その後の「カフェ・ブレッド
&バター」への布石となるとは、この時岩澤幸矢自身も知る由がなかった。
「僕は、ホテルでベッドメイクの仕事とかをしていたんだけれども、岩倉家のグラン
ドマザー、通称マミーという人がいてね、彼女がとにかく顔が広いんだよ。有名人と
かよく知っていてね。僕もよく面倒を見てもらったんだ。そのマミーが、実はその後
に出会って一緒にお店を始めることになるセミ(岩倉瑞江)のおばあちゃまだったと
は、その時は全然知らなかったんだよね」
その後、東京ヒルトンホテルで働くことになった幸矢は、1966年になると、ミューヨ
ークヒルトンに配属される。当時、日本から渡米するのは簡単なことではなかった。
まだまだ敵国のイメージが強く、日本人と見れば「TOJO(東条英機の意)と言われた
時代だという。そしてまた、アメリカもベトナム戦争のさなかで、退廃的なムードが
漂う「サイケデリック」の時代であった。
「東京のヒルトンホテルの方から、コーネル大学のホテル学科に行けるような手配を
してくれていたんだけれど、何か気分が乗らなくて。学生の頃から音楽が好きで、ニ
ューヨークにボブ・ディランが泊まって生活していたライブハウスみたいなものがあ
るのを知って、ある日そこへ行ってみたんだ。そこのオーナーが親切で、僕を泊めて
くれてね。結局3ヶ月ぐらいそこにいたんだけれど、そんなことをやっていたら、ホ
テルなんかとんでもない、やっぱり好きなことをやりたいなと思いはじめた。それで
、音楽をチョコチョコとやりはじめたんだけれど、日本人が当時のアメリカで音楽を
やるなんて、とんでもなかったんだよね」
そして帰国。アメリカで、フォークミュージックを学んできた幸矢は、小室等率いる
「六文銭」に一時参加。その後、日本で学生バンドを組んでいた弟の二弓とブレッド
&バターを結成することになる。
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