わずか9坪のユートピア page:3/9
海まで歩いて7分東海岸南1丁目
←小さなカウンターと大きなテーブルが二つ。30人も入れば満員になるこの店で、一つの文化とスタイルが育った
↑プールの中で「どのくらい潜っていられるか」遊んでいるところ。当時水中写真を撮れること自体が珍しい。
 ロンドンで出会った岩澤兄弟と岩倉瑞江は、茅ヶ崎で再会する。当時、茅ケ崎の東海岸にある600坪のプール付きの屋敷に、彼女は一人で暮らしていた。
「父は東京に住んでいて、まさに家は子供天国だったんです。部屋もたくさんあるから、みんなで共同生活をしようということになって、まず初めには二弓君と友達が引っ越してきたの」
 しかし気がづいてみれば、なぜだかミュージシャンばかり5人も6人も住みつていたという。二弓はこう回想する。
「とにかく大きな家で、部屋数は7部屋もあって大きなリビングと暖炉のある居間と庭には25mプールがある。こんなところを放っておく手はない、という感じだよね。僕は菅井君(菅井義雄=ミュージシャン)と秋山君(秋山新之介=ベーシスト)と一緒にすみはじめたんだ」
 また、現在パーカッションとフルートで活躍しているミュージシャン浜口茂外也も、当時住みついていた一人だ。
「当時僕は音楽に悩んでいて、オヤジに勘当されて、大学も辞めて家を出て吉祥寺に住んでいたんですよ。運転手組合というところがあって、そこでバイトしながら生活をしていたんですけど、ある日仕事にあぶれてしまって、やることもないから湘南へでも行こうかと友人と二人でフラッと湘南に遊びに行ったんです。サッチンとは知り合いだったから、鵠沼に訪ねていったら、二弓が良いところに住んでいるから遊びに行こうって誘われたんですよ」
 それがきっかけで、浜口も岩倉邸の住人となった。それとほぼ同じ時期に、後に辻堂に「リトルジョージ」というライブハウスをオープンさせる事になる小沢やすみ(通称ジョージ)も、“なぜだか”住人の一人となった。そしてその他に、犬が7匹と猫が6匹。食費込みで家賃3万円、まるでヒッピーのコミューンのような奇妙な共同生活は、1975年にスタートした。
 その頃、職があったのは岩倉瑞江本人と彼女の友人の二人だった。
「男達は誰も働いていなかったね。朝起きて、まず海をチェックして波があればサーフィンしたり、なければみんな勝手に音を出していたり。何をやるにもみんな一緒で、共同生活は大変だったけれど、青春っていう感じだったな」
 と二弓は言う。自由奔放な生活の中にも、五右衛門風呂の薪割りや食事当番といったルールは一応あったが、夜ともなれば、毎晩のようにパーティーが繰り広げられていた。そんな毎日を過ごしていたある日、“なんとなく”コーヒーハウスでもやろうかという話が、岩澤兄弟と岩倉の間で持ち上がった。

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